ロックンロールとは? その4

(1)ブルースやカントリーの基本的な楽器のひとつであるギターが、ピアノに代わってヴォーカルの伴奏楽器として大きな役割を果たすようになった点。

エレクトリック・ギターが多用されるようになったこともポイント。

(2)電気によってアンプリファイズされた小編成のコンボが、木管楽器、金管楽器、ストリングスを含む大オーケストラの代わりに活躍するようになった点。

(3)どんなレコードを作るかという決定権が、大レコード会社やA&R会社の重役たち、およびプロードウェイやハリウッドの音楽出版社の手を離れ、独立プロデューサーの手に移った点。

(4)32小節でーコーラス(AABA)といった既存のポピュラー音楽のパターンが崩れ、曲の長さを変えたり、気ままなフィルを入れたり、テンポを変えたり、半端な小節数のパターンが現われた点。

(5)印刷された楽譜による音楽の流通が鳴りをひそめ、代わりに録音されたレコード盤によって音楽が広まるようになった点。

(6)若者による若者のための音楽文化でありながら、若者以外にも広く受け入れられた点。

(7)ヨーロッパではなく、アメリカの黒人文化に起源を持つ音楽である点。

ロックンロールとは? その3

とにかく、どうやら始まりは1954年ごろらしい、ということだけはわかりました。

そして翌1955年には革命的な名曲、ビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が登場。

リリースされた当初は特に多くのリスナーの耳を引くこともなかったが、映画『暴力教室』のテーマ曲と
して使用されたことをキッカケに、この曲はティーンエイジャーのやり場のないフラストレーションの爆発を象徴する作品へと祭り上げられます。

そして1956年、エルヴィス・プレスリーが衝撃の全米デビュー。

ここに至ってロックンロール誕生のエネルギーは、ピークを迎えることになります。

その辺の事情はあとで詳しくたどるとして、ちょっと音楽的な側面からロックンロールという音楽の特徴をながめてみましょう。

「ロックンロールは黒人のジャンプ・ブルースから派生した音楽であり、1920年代から脈々と受け継がれてきたポップスの歴史の中でもっとも大きな支持を集めている」

と記したのはアーノルド・ショー。

彼が編纂した『DICTIONARY OF AMERICAN POP / ROCK』という本から、ロックンロールの革命的な点を箇条書きにしていきます。

続く

ロックンロールとは? その2

当時、アメリカで50キロワット以上の大出力を持つラジオ局は黒人のレコードをかけることを拒否していましたが、白人のクルー・カッツのカヴァー盤ならOKだったというわけですね。

1954年の夏中、クルー・カッツの「シュ・ブーム」はポップ・チャートで大当たり。

また、カントリー・シンガーのボビウィリアムソンが歌ったヴァージョンはカントリー・チャートにも顔を出しています。

つまり「シュ・ブーム」は、ポップ・チャート史上はじめてブラック・チャートからカントリー・チャートまでを席捲し、黒人音楽と白人音楽とが奇妙な結合/競合を見せた最初のヒットになったということ。

そういう意味で"この曲こそ最初のロックンロール"と主張する人たちが多いわけです。

と、様々な説はあるものの、どの曲までがロックンロールじゃなくて、どの曲からロックンロールだと明確に線引きできる基準なり境界なりがあるわけじゃないですね。

先述した通り、もともとロックンロールという名称自体、アラン・フリードが暫定的に用いたものであり、かつ、その言葉が指し示していたのは既存のR&B的な音楽のことであり・・・。

むずかしいです。

ロックンロールとは?

初めてのロックンロールは、どの曲なのか?

これはむずかしい問題です。

1954年、黒人ヴォーカル・グループ、ザ・クロウズが歌った「ジー」こそ最初のロックンロールとする説もあります。

このシングルは全米ポップ・チャートにランクインし、そこそこ目立った成績(全米14位)を収めた、当時としては珍しいR&Bレコードでした。

一方、同じく1954年、黒人ヴォーカル・グループ、ザ・コーズが歌った「シュ・ブーム(ライフ・クッド・ピー・ア・ドリーム)」を最初のロックンロールと解釈する説も有力。

こちらもR&Bレコードとしては珍しくやはり全米ポップ・チャートにランクインしたが、人気上昇ぶりはジー」
をはるかに上回っていました。

登場後3週間でトップ10圏内に突入。最高位は5位でした。

さらに、ビリー・ウィリアムズ、サイ・オリヴァーなど多くの白人アーティストがカヴァー・ヴァージョンを録音
したことも大きなポイント。

特に、白人コーラス・グループのザ・クルー・カッツによるカヴァー・ヴァージョンは、本家であるザ・コーズ盤を追い抜き、見事ポップ・チャートの1位に輝いています。

Led Zeppelin II

「Led Zeppelin II」は1969年に発売された2枚目のアルバムです。

プロデューサーはジミー・ペイジ。レコーディング・エンジニアはエディ・クレーマー。

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とても過酷な環境の中で慌ただしく録音されたというアルバム。

しかしこの環境はむしろメンバーに高揚感を与え、収録全曲が鋭角的で攻撃的な仕上がりになっています^^

このアルバムの力で「レッド・ツェッペリン」=「大音響のヘヴィ・ロック」という図式が浸透したと言われています。

「 Whole lotta love」は短縮版がシングルカットされて大ヒットし、ビルボードのチャートで4位になりました。

これで、「ツェッペリンといえばWhole lotta love」というイメージが出来上がりました。


曲目リスト

1. Whole lotta love
2. What is and what should never be
3. Lemon song
4. Thank you
5. Heartbreaker
6. Livin' lovin' maid (she's just a woman)
7. Ramble on
8. Moby dick
9. Bring it on home

デビュー後の快進撃

1968年に録音したアルバムのテープは、ペイジとマネージャーのピーター・グラントとの共同出資によるものでした。

そのテープを持って渡米したグラントは、当時としては破格の20万ドル(当時の日本円にして約7200万円!)でアトランティック・レコードと契約します。

グラントがマネージメントしていたジェフ・ベックがヴァニラ・ファッジとのアメリカツアーに参加できなくなった代わりにレッド・ツェッペリンを送り込み、12月26日から参加させました。

このツアーでツェッペリンは爆発的な評判を呼びます。

そして1969年、アメリカで発売予定のデビューアルバムに5万枚の予約が入って全米10位、イギリスでは3月に発売され、全英6位となっています。

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いきなりの大人気だったわけですね。

バンド名は誰の口癖から?

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1966年5月16日、ジェフ・ベックのソロ・シングルの録音のため、ジェフとジミー、ジョン、ニッキー、キースの5人によるセッションが行われました。

このセッションはとても充実したものだったそうです。

そのために5人中4人は、このままバンドとしての活動をすることを希望しましたが、ジョーンズが乗り気でなかったことと、いいシンガーが見つからなかったことを理由にその計画はなくなったそうです。

その時にムーンが「もしも俺たちが今いるバンドを辞めたら、きっと向こうは鉛の風船みたいに急降下だろうぜ、いや、鉛の飛行船(lead zeppelin)かな?」と発言したことによって、このバンド名が誕生したそうです。

この「going like lead Zeppelin」というセリフは、ムーンの口癖だったそうですよ。

New Yardbirds featuring Led Zeppelin

1968年10月15日、サリー大学でのイギリス初のコンサートではNew Yardbirds featuring Led Zeppelinと名乗っています。

ヤードバーズはアメリカのマディソン・スクエア・ガーデンでコンサートをしたほどのビッグ・ネームでしたが、古いポップグループのイメージが残る名前と決別したかったため、改名したといわれています。

ヤードバーズの音楽性を継承しつつも、ブルースベースのハードロックをより推し進めた彼らの1stアルバムにおける音楽性について、同じミッキー・モスト・プロダクションにいた(第一期)ジェフ・ベック・グループがヒントであったといわれることがあります。

ジェフ・ベックはツェッペリンのステージを見て「あれは俺のパクリだ」と言ったらしい・・・。

しかし、ツェッペリン結成時の状況をみると、音楽性が似通っていることは偶然であった可能性もありますよね。

結成までの長い道のり

そんなこんなあった後に・・・

すぐにテリーから「シンガーを見つけた」とペイジに連絡があります。

テリーはバクストンで共演したバンド・オブ・ジョイで歌っていたロバート・プラントを推薦しました。

ペイジも納得してロバートを引き抜き、今度はロバートがバンド・オブ・ジョイにいたことのある

ドラマー、ジョン・ボーナムを推薦します。


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ボーナムはプラントの紹介でアメリカのシンガー、ティム・ローズの UKツアーに参加しており、

そのステージを見たペイジは、彼をバンドに加えることを即決!

ですがボーナムは当時バンドへの加入を頑なに拒んでいたため、プラントとグラントの2人で

電報を打ちまくって説得!半ば強引にツェッペリンに加入させたといわれています。

しかし、ドレヤがメンバー探しの途中にカメラマンになりたがり脱退・・・。

そこで前からペイジと知り合いだった、ベーシスト兼キーボーディストのジョン・ポール・ジョーンズ

を誘います。

そして ヤードバーズとしての契約が残っていたスカンジナビア・ツアーを

New Yardbirdsと名を改めて決行!

この時すでにレッド・ツェッペリンのデビューアルバムの曲が演奏されています。

メンバー探し

ヤードバーズは1968年7月7日のコンサートを最後に、キース・レルフとジム・マッカーティが脱退・・。

クリス・ドレヤとペイジは同じミッキー・モスト・プロダクションにいたテリー・リードとプロコル・ハルムのB.J.ウイルソンをメンバーに誘いますが、テリーには自らのバンドのアメリカツアーが決まっていたため断られ、ウイルソンにはプロコル・ハルムが成功しているとして断られました。

メンバーを探すのにも一苦労です^^;

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